ルールもそうだし、良いやり方というのを鵜呑みにしないで、まず自分で好きなようにやってみると、なぜそのやり方が良いのか、そうでないと何が困るのかが身体知としてわかるよ。守破離の前に、破を入れると深い理解ができる。破守破離。
『アルケミスト』読み直してるが、こりゃすごい。今読むと「わかる、わかるゾォ。」ということばかり。この数年の探求は無駄ではなかったなぁ。
今ものすごい大事な記事の翻訳のレビューを手伝っている。これ25年以上前の話なんだけどとっても大事なので丁寧にレビューしたい。
葡萄の漢字の書き方覚えた!くさかんむりに、つつみがまえ、中身の「甫缶」を覚えておけば書ける。
正当化は、自分の心の痛みを感じるの嫌だから、痛み止めとして発動するんだよね。痛み止めに頼るのでなく、痛みを感じればいいのだが、無意識に麻酔発動してたりするので厄介。自分の正当化をどこまで自覚的に見れるかが課題だな。
第一次アテルイブームが俺の中で来ている。思えば歴史の中で土着の民族が外部から侵略される話聞くたびに怒りが湧いてきてたのは、ここがルーツだったのかもしれないななどと。
今年の夏はキクイモ結構枯れてしまった。根元の雑草を引いたら日光当たって乾燥したせいかな?キクイモは自生地はものすごく蜜に生えているので基本根元が露出することはなさそうり何かしら生やしておかないと枯れるのだなぁという学び。
個人的には「正しい絶望」というのが大切だと思うのだが、そう言ってる人結構いるなぁ。この言葉どこから借りてきたのかもしれない。一度極にふれないと反対の極に向かわないから絶望は必要。映画やアニメでも主人公は一度(もしくは何度も)絶望するのもこのせい。
南部絵暦が可愛いので流行らせたいと盛岡で話してた。http://
松山仙台便、また就航してれないかなぁ。そしたらバンバン使うのに。。。伊達家の繋がりで是非復活を!(宇和島伊達藩)
これは健常者だけではぜったい辿り着けない領域のデザインだな。わからない世界に飛び込むきっかけと愛が不可欠だ。https://
アレグザンダーのいう生命の強度は、ザ・メンタルモデルで言う人の分離の意識から作られているのか、源・全体性の意識から作られているのかに相関するという仮説。源泉となる意識が行動の質を決定する「意識と質の相関仮説」とでも呼ぼうかな。
成長・発達理論などというと「人は成長すべき・発達すべき」というフォースにとらわれてしまいがち(提唱者はそうはいってなくても)。分離から生きるか、源から生きるのか、という上下・良し悪しでなく選択の余地を増やすという由佐さんの表現の仕方が自分は好きだ。
ネイチャーオブオーダーとメンタルモデルがますます繋がってきましたよ。。。。マジで。
何かあると「ではどうしたらいいだろう?」という思考に囚われる。そこで一旦立ち止まることができるか、行動の前に内観できるか、感じ取れることができるか、自分に繋がることができるか、これに尽きる。