素足で歩く。
小石が落ちていると痛い、当たり前のこと。
アスファルトが荒れていると痛い、当たり前のこと。
地面に草が生えていると、途端にそこは楽園になる。
足裏と草花が触れる時、そこには優しさがある。
ああ、そこに生えていてくれてありがとう、と心から安堵する。
草花はどんなものであれ、土を覆い尽くして、土壌を守り、動物たちに優しい絨毯を提供し、自らの身体を差し出して、動物たちの生きる糧となる。朽ちた体は再び土に戻り、次の世代を育む糧となる。
その存在は完璧で無駄がない。
いつから雑草という名が生まれ、人は草花から離れてしまったのだろう?忌み嫌われ取り除かれる存在となったのだろう?
その完全性に気づかない人の曇った眼差しは、自分自身の完全性にも気づかないままなのかもしれない。