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Takeshi Kakeda (tkskkd)
kakeda at zensow.jp
Japan - Ehime - Matsuyama

分離→統合を進めて全体性を取り戻すいきいきデザイナー&プラクティショナー&エヴァンジェリスト
アジャイル(22年)、パタン・ランゲージ(13年)、パーマカルチャー(15年)、ビオトープガーデニング(10年)、ウルトラ&トレイルラン、メンタルモデル探求、乱読書、生態系保全、心身一如、自分、他者、すべての生物の「いのちを活かす」ための活動をしています。 個人やチームのアジャイルメンタリング&コンサルティング、メンタルモデル紐解き、個人・チームの心身の健康カイゼン支援、などなど。

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11年目の3.11、そしてウクライナ侵攻で、気づいたこと

世界の問題の根っこはなんだろう?どうすればよいのだろう?に思いを馳せる

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3.11、自然災害と持続不可能な技術のダンス

2011年3月11日、僕は約1年前の2010年に東京から愛媛に移住していた。東京の友人、実家の両親や弟たちが体験した震災の地震の揺れも、避難も、僕は体験していない。四国からは圧倒的な津波の映像しか見えなかった。

その年の7月に、岩手の陸前高田の震災ボランティアに参加した。岩手県は両親の実家があり親戚も大勢いる。陸前高田は子供の頃に何度か海水浴にいったことがあった。

親戚の家は、大半は内陸側だったので無事だったが、気仙沼在住の従姉妹が一時期行方不明になった。当時Google Person Finderを使って避難所の名簿を片っ端から検索して、ようやく従姉妹の無事と居所を突き止めたことを思い出す。

ボランティアセンターのある遠野市から陸前高田へと向かうバスに乗って被災地へ向かった。同じような田舎の田園風景が突如一変したのが強烈に印象残っている。陸前高田の街に出てみると見渡す限り瓦礫の山、何も残っていない風景に衝撃を受けた。目前の景色は数ヶ月前に見た広島の原爆爆心地の写真と同じだった。

2011年はちょうどパーマカルチャーを正式に学び始めた年でもある。今はなき淡河の古民家を使ったパーマカルチャー関西のセンターで、持続可能な生活をデザインするパーマカルチャーを、持続不可能な原発から生じた見えない放射性物質が広がる震災後の時期に学んでいたことが強烈に印象に残っている。

当時を思い返してみると、猛烈な自然災害と持続不可能な技術がダンスを踊った結果、奇跡的に間一髪、東日本壊滅を乗り越えられた、と感じる。

ウクライナ侵攻、人の生存本能と持続不可能な技術のダンス

そして2022年、今僕は生存本能が駆動する人の内的世界の自己受容〜自己統合に向かうためのメンタルモデルをはじめとするHMテクノロジーを学んでいる。

その最中にウクライナ侵攻が起きた。この事件は「ロシアが悪」という単純な図式では済まない、それまで何十年も積み重ねられた人々の恐怖と不安に駆動された生存本能の連鎖が引き起こした、二国間の問題だけではない、世界中を巻き込んだ不本意な現実なのなもしれない。

一昨年から続く新型コロナウイルスの騒動も含め、人の不安や恐怖がいかに人間社会を動乱に向かわせるかを同時代で目の当たりにしている。

11年前のパーマカルチャーと東日本大震災とそれに続く原発事故、そして今のHMテクノロジーとウクライナ侵攻、そこから続く様々な悲劇の数々。どちらの場合も、自分がまさに今学んでいること(持続可能なデザイン、人の内的世界の統合)が、世界に欠落している結果として生み出された出来事という、まったく同じ構造に改めて驚かされた。

先日のロシアの原発への攻撃などは、恐怖に駆動された生存本能と、持続不可能なテクノロジーがダンスを踊った結果としての考えうる最悪のケースが現実に起こりうるということが明らかになったといえる。

「ない」ではなく「ある」に気づくことが未来を作るという仮説

これまで、現代社会は技術革新で立ち塞がる問題を解決しようと必死になってきた。しかしこの現状を引き起こしている根っこは、人の「〜がない」という欠乏の信念から生まれる不安、恐怖や、それに基づくさまざまな人間の行動ではないだろうか。

この「〜がない」と言う信念を「〜はある」に変えていかないと、この悲劇の連鎖は止まらない気がしている。

たとえば、パーマカルチャーの提唱者の一人であるビル・モリソンは「地球を森にする」ことをビジョンとしていた。モリソンによれば、森は畑よりもずっと安定して食料を生産してくれる環境だという。アグロフォレストリーも類似する概念だ。

しかし人は森を切り開いて木材としてしか見ておらず、多くは森よりも生産性の低い畑に変えてしまった。地球は人間が必要とするものを与えてくれる潜在力があるのに、人間がそれを使いこなせていないが故、現在の文明が様々な問題にぶつかっていると考えることができる。

『ザ・メンタルモデル』由佐美加子さんは、人の「〜がない」という無自覚な信念が、その人の周りの不本意な現実を作り出しているという仮説に立っている。

「ありのままでは価値がない」「ありのままでは愛されない」「ありのままの自分は何かが足りない」「自分はひとりぼっち」という信念が人の根っこにあり、その結果として「ない」ものをなんとか埋めようとしたり、「ない」ことを諦めて行動しているが、最終的には「やっぱり〜がない」という不本意な現実が生まれてしまうということだ。

今まさにおきているウクライナ侵攻も、それ以前の時代からの「わかってもらえない」「わかりあえない」「力が足りない」「安心がない」といった不安と恐怖に各国が駆動された結果として現れていると感じざるを得ない。

これまでの技術とは「「ない」ものを「ある」に変える」という目的でひたすら革新されてきた気がしている。しかし、本当に必要な技術革新とは「「ある」のに「ない」としていることを「ある」と気づかせる」ためのものではないだろうか。

私たちが「〜はある」と気づけば、「〜はある」という信念に基づいて行動していけば、「ないものにしていたけどある感情」を感じることができれば、きっと「〜はある」という現実が作り出される、そんな未来を作りたいと思った、11年目の3.11だった。

分離から統合に至る2つの内省アプローチ〜XPとザ・メンタルモデル

自分を観ると、世界が変わる、かもしれない!?

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この一年くらい、『ザ・メンタルモデル』(以下、TMM)を学んでいました。その流れでザ・メンタルモデル・ワークブック(TMMW)の読書会を始めることにしたのですが、読書会に先立ってなぜやるのかの話をもう少ししておきます。

Kent Beckの内省〜インテグリティの実現

自己内省というとすぐに思い出すのは、『エクストリーム・プログラミング』(XP本)のKent Beckのことです。 KentはXP本の中で内面の探求について言及しており、私は数年前にそのことに気づいて非常に大きな影響を受けてきました。

https://www.slideshare.net/kkd/about-annotatedbibliographyinx-pver3

KentはXP本の中で次のように書いています。

私はプログラマーの生活をよくするためにXPを体系化した。体系化しているうちに、XPは世界における私のあり方を決めるものになった。けれどもそれは、私自身の価値について考えさせ、それに合わせた行動を求めるようなあり方だ。最初に私自身を改善しなければ、何も改善されない。そのことを私は発見した。

XPの鍵は誠実性(integrity)だ。本当の価値と調和のとれた行動をすることだ。誠実性を目標にした途端、私は実際の自分の価値が世界から持っていると思われたい自分の価値ではないことに気づいた。この5年間は、実際の自分の価値を自分の持ちたい価値に変える旅だった。

ここで、Kentは「自分自信を改善しなければ、何も改善されない」と述べています。ここでの「改善」は何を指すかというと「 実際の自分の価値を自分の持ちたい価値に変える」ということです。そして「価値にあった行動に変えていく」ことをも意味しています。

Kentは「実際の自分の価値を、自分が持ちたいと価値に変える」というアプローチを行いました。図にしてみると、以下のような感じです。

 

自分の価値が、自分が持ちたいと思う価値ではない場合ギャップが生まれます。ここで言行不一致が生じることになります。

言行不一致の状態はDoingの状態です。自分が本当に大事ににしていることは違うのに、「こうするべき」行動を一所懸命行おうとします。しかしどこかでほころびが見え隠れします。言ってることと、やってることのズレがどうしても生じてきます。

言行不一致について無自覚な場合は単にほころびが見え隠れするだけですが、自覚的になると「自分自信を欺いている」に気づいてしまうのが苦しい点です。

「本当はこっちを大事にしたいのに、こうせざるを得ない」

「本当はこう行動したいのに、自分は実は別の価値を大事にしている」

このように、価値と行動の不一致は、自己を引き裂き分離させてしまいます。

一方、自分の価値を、自分が持ちたいと思う価値に書き換える、あるいは行動を価値に沿った行動に帰ることで、言行一致になり調和が生まれます。これがインテグリティです。

言行一致とはBeingの状態です。あり方とふるまいに一貫性があります。ブレはなく自分の中でのバランスもとれ調和が生まれます。自己の価値と行動が統合されています。

 

TMMの内省〜無意識のパターンを知って解放される

一方、TMMでは「自分の無自覚な信念(触れたくない痛みの回避行動)が作る構造を明らかにする」ことで、無自覚に行っていた回避行動を意識化して変容が可能であるとしています。これは「価値を変える」「価値にあった行動にかえる」というアプローチとは若干異なります。もう少し詳しく説明しましょう。

TMMでは、「痛みを回避するために作られた無自覚な信念(メンタルモデル)を元に生存適合OSが駆動している回避行動」が不本意な現実を作るとしています。

ここで言う痛みとは「ありのままの自分では受け入れられない」というものを起点としますが、ポイントは人それぞれで異なります。これについてはスクフェス大阪でやったワークの中で説明したメンタルモデルの類型に詳しいです。

この説明だけだとわかりにくいので例を出すと、何らかの原因で「自分の存在を否定される」経験をされた人が「ありのままの自分は価値はない」という信念を作り出します。そして無意識に「価値がある自分になる」ように駆り立ててらます。ここでは「価値がある自分になる」という行動が回避行動となります。

 

ここでポイントとなるのは「ありのままの自分は価値がない」という信念です。自分を痛みを回避し「痛みをなかったことにする」ために自分自信に言い聞かせているマントラです。TMMの用語でこのような状態を「自己分離している」と呼びます。

先の価値と行動の分離とは異なり、無意識にあるもの(痛み)をなかったことにしている、という意味での分離です。

この信念に基づく行動は一貫性があり合理的であり「痛みを回避する」という目的のために機能しています。この仕組みは生存するために自我が無意識に構築したものなので、そのままでは行動の選択の余地がありません

この信念が強固なまま行動したとしても不本意さはなくならず、結局痛みが再生される。上記の例であれば「価値がある自分になろうとする」行動だけしていますが、どんなに価値ある自分になろうとしても最終的には「自分には価値がない」に戻ってきます。ここに「不本意さ」が残り続けます。

顕在意識では「不本意(=残念)」なことが起きており、それをなんとかしたいと思っていますが、外部のアクションでを変えようと思っても変えることはできません。なぜなら無意識的には一貫性のある合理的構造で動いているので、そのパターンから離れることができないからです。そのため「なんで、いつもこうなっちゃうかなぁ」という不本意さが繰り返されます。

一方、TMMの仮説としては「自分の不本意な現実が作られる構造を知ることによって、生存適合OSという存在を認めつつ、不快感を感じたり、意識的に行動を変えたりすることで徐々に変容していく」という理解です。

 

自分の生存適合OSを理解していれば、自分のメンタルモデルにそぐわない行動(痛みに向き合う行動)を意識的に行うこともできます。ただ「痛み」自体は消えません。この不快な感じをなかったことにするのではなく感じることが重要です。そうすることで、それまで「痛みをひたすら回避」してきた生存適合OSの役割が薄れていき徐々に効力を失っていくとされています。

もちろん引き続き痛みを回避する生存適合OSのお世話になることもできます。決定的に違うのは行動の選択権は自分の意識下にあるという点です。

Kent Beckのアプローチと、TMMのアプローチは「自己の内面を探求する」「自己分離から統合へ向かう」という意味では似ています。

強いて違いを述べるなら「あるものを受容する」ということです。自分の中にあるものを無きものにしようとすると自己分離がおきます。「あるものはある」とただ認めるだけ自己受容をするだけです。

 

 

ここで言う「あるもの」とは、自分の嫌な部分や、なかったことにしたい痛みなど、自分から切り離された部分です。切り離された自分を統合することがTMMで最終的に実現したい自己統合です。

無理に「信念を書き換える」ということでもなく、自分を知って受容するだけですが、それだけのことが、実は人にとって一番大きな変化なのかもしれません。

自分を知ることで、世界が変わる、かもしれない!?

個人的にTMMが面白いと思う点は「スピリチュアル的な要素が少ない」という点です。これは由佐さんの経歴が「学習する組織」「システム思考」をベースとした組織開発にあるためかもしれません。システムの構造を見抜き、レバレッジポイントを見極めて、アクションを起こすという感覚に近いと感じます。

また、自分の内的構造を知ることは発見でもあり喜びでもあります。「あー、こういう構造になっていたのか。それじゃぁ、この行動しても仕方ないよね」というように、自分の無意識の行動の合理性に気づくことで、逆に自分を慈しむことができます。

自分の内的世界を観ることは「生きやすさ」に繋がり「行動の可能性を広げる」と感じています。

Kentはまず最初に自分の内面をみつめることで価値と行動の一貫性をつくるインテグリティの大事さを教えてくれました。TMMは内面を観て自己受容することで分離を統合に近づけ、自己を慈しみ生きやすくなることを教えてくれました。

そして、両者ともに自分の内的世界に目を向けることによって、結果として外的世界の変化に繋がるという点も似ています。

Kent Beckは「Social change starts with you.」という言葉を残しました。

私は上記の言葉を次のように書き直したいと思います。

Social change starts with understanding your inner world.

(ソーシャルチェンジは自分の内的世界を知ることで始まる)

まぁ、本当に変わるかはわかりませんがw、自分を知るのは楽しいですよ。あまり過度な期待や、深刻にならずに自分を知ることを目的に、一緒にこの仮説を探求したい人は、どうぞ↓まで!

https://thementalmodel.connpass.com/

ザ・メンタルモデル・ワークブックの読書会をはじめます

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なにするの?

『ザ・メンタルモデル・ワークブック』(略称TMMW)の読書会をはじめます。

ザ・メンタルモデルワークブック(TMMW)読書会

この本は、『ザ・メンタルモデル』(略称 TMM)で解説されている、痛みを回避するために出来上がった無自覚な信念である「メンタルモデル」に先立ち、「自分を観る」ことを行って「自己分離から統合」に向かう考え方・観かたをワークを通じて学びます。

いきなり「痛み、不安、恐れ」を観るのは誰しも抵抗感があります。その抵抗感を少しづつ取り去っていき、自分を観る ステップを提供してくれるのが、TMMWです。

ひとつずつ本書のワークをすすめていくことによって、「自分を丁寧に観る」ことができ、その結果として、仕事、家庭を含めたその人の人生が豊かになる、入り口になると私は信じています。

 

本について

TMMWのワークの内容は、もともとは著者の由佐さん、中村さんが提供しているJourney to the Source(JTS) 統合プログラムの一貫でした。私は昨年からこのJTSを受講し、本書のワークを数ヶ月かけて一通り実際に体験し、その場で「自分を観る」ことで「自己分離」に気づき、それを統合にむけ方向づけすることを体感しました。

TMMWは、JTSという有償プログラムの内容を一冊の本にまとめたという点でも大きな価値がありますし、著者の二人はその内容を多くの人に体験してほしいという願いがありこのような取り組みをされたそうです。

著者の中村さんに連絡をして、読書会について相談をして開催することにしました。

なぜやるのか?

ここで少し「なぜ本書の読書会を主催するのか」について簡単に述べておきます。

そもそもTWW(『ザ・メンタルモデル』)に興味を持ったのは、自分が直面期(自己分離している人生でいろいろ極まって困難にぶつかる時期)に移行して、一度自分のそれまでのものが瓦解していきました。そこから、外に目を向けるのでなく、内に目を向けることで囚われを少しづつ手放しながら再構築している段階でした。

購入して一旦積ん読しておいたTMMをふとしたきっかけで読んでみると、それまで薄々気づいていた事が書いてありました。

あっ!自分が辿ってきたのは、ここで言ってる直面期→自己統合期だったのかもしれない

と感じたのです。

しばらく、TMMを人にすすめることをしていたのですが、由佐さんの講座があると知って、その答え合わせをするためにJTSプログラムに飛びこみました。そのプログラムの中で気づいたのは、私が想像していた以上に「自己分離」が進んでいたことでした。

ここで言う「自己分離」とは、人生の中で「痛みと出会った時に、自分の生存のために、本来の自分にあるものを自分から切り離して、二度と痛みを味合わないように回避する」という意味を指します。

TMMの面白いところは、他人からみたら(本人でさえも)悩みや問題を抱えていなさそうな人ですら、痛みの回避行動で生きているということです。この痛みの回避行動で駆動している振る舞いの総称を、TMMでは生存適合OSと呼んでいます。

この「回避行動」というのが曲者で、たとえば、私自身もそれまで「自分の強み・個性」としてアイデンティティに感じていたものが、実は自己分離の末に生まれたものだと気づき衝撃を受けました。「人と違うことをしようとする・同じが嫌だ」という性格は、実は「本当はみんなと同じになりたかった(でもできなかった) 痛みから逃れるために「人と違ってもいい、むしろ、違うことがいいんだ!」という信念と克服行動を生み出していたという構造だったのです。(私の痛みは他にもいくつかありますが、ザ・メンタルモデル的には「ひとりぼっちモデル」が一番強いようです。)

由佐さんは、生存適合OSの呪縛から抜け出すために、痛みや無自覚な信念が引き起こす構造を知り「あるもの(痛み、信念、回避行動)があるんだね」と認めることが必要だと言っています。それらが「いい・悪い」とレッテルをつけるのではなく存在そのものを認めてあげることです。そうすることで、自分の行動を俯瞰的に見ることができるようになり、無意識ではなく意識的に行動の選択ができます。

由佐さんは、回避したくなる痛みは、自分がありたい世界の願いにつながる糸口であるとも言っています。つまり「痛み」とは「あるはずのものがない」痛みであり、自分が欲しかった「あるはずのものがある世界」を作り出していくことが、その人の願いだととらえます。

身体的な痛みもそうですが、痛みとはフィードバックであり、その痛みの奥の意味を読み解かなければ、人は痛みから逃げるか、無視するか、克服することしかできません。「いのちの願い」の存在を痛みが教えてくれていると考えれば、痛みを無視したりなかったことにするのでなく、痛みの存在を味わい、その奥にある、本来自分が望んでいた世界に向かう、という由佐さんの提唱する未来像に共感します。

TMMWのワークは、無自覚なまま人生を駆動している自分の仕組みを知る入り口と考えています。

また、そんな深刻にならなくても、自分の無意識の行動がどのように生まれているのかを知ることができると「そうだったのか!」という大発見です。そして、それまで自分を守ってきてくれた生存適合OSに「これまでありがとう、そしてこれからは自分で道を歩いて行くよ、さよなら」が言えるようになるんじゃないかと感じてます。

どうやるの?

読書会は、本を読み、ワークを行い、内容や疑問点、感想を分かち合う、という流れで進めていく予定です。

誰かの悩みを聞いて、誰かが解決するということはありません。ひたすらワークを通じて「自分を観ていく」ことを、一人ではなく、皆で一緒にやっていくということを繰り返します。私自身も、改めてワークを進めながら再度自己の分離を見ていくことにします。

TMMWに収められている12のワークは、きっちりやるのが目的ではなく、ワークを通じて自分の内面に起きたことを感じ取ることが大事だと述べられています。「このワークブックの使い方」というパートで次のようなことが書かれています。

このワークブックの説明として書いてあることも、鵜呑みにせずに、本当にそうなのかな?と疑ってかかってください。そして日常の自分の体験の中でそれを検証してみてください。書いてあることに合意する必要も、同意する必要もありません。自分の中に起きた洞察だけが自分にとっての真実を教えてくれています。常に外側にあるどんな正しさよりも、あなたにとっての真実の方が大切なのです。

「きっちり・正しくやろう」と考えるのでなく、疑問点や納得いかない点があってもいいのでやってみて、その結果を日常で自分の内面で検証し続けるということです。

ではワークを他の人とわかちあうことの意味はなんだろう?と考えてみると、自分だけでなく他者を知ることで、人間に対しての理解が深まるという点につきます。それぞれの人が抱えている不安、怖れに敏感になり、他者そして最も身近な自分を受容することに近づくと考えています。

大切なことは「感じること」です。頭で考えるのでなく、身体で感じることです。

進め方は、ひとまず上記のように仮置しています。この後どのように変わるかわかりませんが、何が起きてもいい、どんな体験があってもいい、そういうスタンスで、この読書会を開催していく予定です。

最後に

自己分離の統合について本気で学びたいのであれば、私のように由佐さんらの講座に参加するのが一番近道だと思います。

現在は、JTSプログラムは構成が変わって、以前のTMMWにあたるJTSプログラムは、本書をベースにしたラーニングサークルという講座になっています。

ラーニングサークルでは、TMMWのワークを由佐さんらと共に作り上げた三好さん、鈴木さんらが中心となって開催しています。私も受講の際に二人にお世話になりましたので、本読書会を通じて興味を持たれた方、より深めたい方は参加するのをお勧めします。

ラーニングサークルはすぐに満席になってしまうので、その前に自分なりにTMMWワークしておくのが良いと思います。その一つの手段として、本読書会が役に立てば幸いです。

読書会は以下になります。

https://thementalmodel.connpass.com/event/232132/

皆さんの参加をお待ちしています。

スクフェス大阪で発表した『個人から始める変化』への入口

分離から統合への道のりの経過発表

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昨年に引き続き、スクフェス大阪で四国トラックで発表させてもらいました。

今回の登壇は「四国らしさとは何か?」という問いに、Agile459のメンバーが「IKIGAI」を上げてくれたのをきっかけに構成したものです。

2015年にIKIGAI(マップ)に出会い、2020年にマルチ・ポテンシャライトに出会って、それらを使って自分の内面を探求したり、それを人と分かち合うことをやってきました。そして昨年『ザ・メンタルモデル』に出会い「本当の意味で」自分の内側を探求するという体験をしてきました。今回はその一端を共有できればと思い発表しました。

 

個人から始める変化〜 IKIGAIマップ、マルチ・ポテンシャライト、ザ・メンタルモデルを入口にして〜(公開変更版)

 

IKIGAIマップは、現在の自分の外側の世界の現われですが、その裏で自分を「いい・わるい」と境界を引いている線は自分を分離しているナイフです。そして生存適合OS・メンタルモデルは、その自分を分離するナイフ、外側の世界を作り出す信念です。

人は痛みを抱えて、それを二度と味合わないように見事なまでの生存適合OSと呼ばれる無意識の反応を作り上げます。無意識に作り上げるため、顕在意識で認知することはできず、あたかもそれが正当な行動であると理由をつけて振る舞います。

痛みを回避するために続ける行動が、破綻しつつあり結局痛みを再生してしまうという「不本意な現実」です。その無意識の生存適合OSによる痛みの回避行動が人生を作り上げているというのが、メンタルモデルの主張するところであり、メンタルモデルの提唱者である由佐さんが15年、1000人以上との向き合った結果から見いだされた仮説です。

自分のこの10年をふりかえってみると、東京から地方に移住したことで、メンタルモデルの発達段階で言うところの適合期から直面期へとステージが明らかに移行しました。そして、この数年はその直面期にぶつかって必然的に内面に意識がむかざるを得ませんでした。

そのプロセスが、あるときは「IKIGAIマッピング」であり、ある時は「マルチ・ポテンシャライト」の考え方でした。そのようにして七転八倒した結果、自分なりの自己統合期に差し掛かってきたか?というときに、『ザ・メンタルモデル』と出会いました。

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『ザ・メンタルモデル』でも紹介されている痛みの源泉を紐解いていくプロセスは、実際に私も体験したり他の方の紐解きを目の当たりにして、本当にいろいろな人が、様々な痛みと無自覚な信念を抱えて生きているんだなということを体験しました。

そのような経験を踏まえて「内的世界が外側の現実を作っている」という由佐さんの仮説が腹におちたのです。

本セッションは、メンタルモデルのすべてを伝えることはできませんでしたが、内的世界(=自分の痛み)に目を向けて、無意識の適合OSが不本意な現実を作っている、という可能性に目を向けてもらうきっかけになればと思い行いました。

IKIGAIマッピングで描いた現実も、自己分離も、すべて自分の内面にある信念が作り出しているのかもしれません。

逆にいえば、「信念を書き換えること」で、自分の行動は変わり、結果として現実は変わります。

日本のアジャイル界で言い伝え続けられてきた、Kent Beckの言葉、

Social change starts with you.

は、まさにそのとおりなのです。

個人的には「組織やチームの不本意な現実」も、その構成メンバーの内的世界が作り上げているのではないかと言う仮説をもっています。そうなると、現実を変えるために新しい何かをするよりも「個人・集団の内的世界」に気づき、「無自覚の信念」を書き換えることで、異なる現実を作り出せるのではないか、という可能性もあると感じています。

 

しかし、究極は組織・企業がどうあるかではなく「その人がその人の生きたい人生を送れているかどうか」が最も重要な点です。

参加者の皆さんが「自分の生命をまっとうする」きっかけになれば幸いです。

引き続きメンタルモデルは学んでいきますので、またどこかの機会で取り上げる予定です。