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最近はikigaiなんて名前の会社もできてるらしい。IKIGAIはだいぶ消費されてますね。。。

今日気づいたが【生活】とは【生き】と【活き】の両方の意味があるのではないか?生活とは【生を活かす】ということ、つまり「いのちを活かすのが生活」だ。日々、自分のいのちを活かしてますか?

子供たちの春休みが終わってしまった。こっちがいっぱいいっぱいであまり連れ出してあげられなかったな。先日の草刈り&鹿肉パーティーと霧の笹ヶ峰くらいか。今度は春キャン、春ガサ、山、釣り、いきたいところがありすぎる。

夕食の後に妻と赤ちゃんのふわふわの感触と乳臭さと背中トントン後のゲップの音がたまらん、という話をしてたら、夢の中で可愛いふわふわ赤ちゃんを抱っこしたので満足。しかしあれはどこの子なのかがわからない。名前は聞いたんだけど忘れた。。。

リングフィットアドベンチャーを買ってハマってた人たちのその後を知りたい。。。全クリしてやめたのか、まだ続けてるのか、違うゲームに移ったのか、他の運動手段を見つけたのか。。。

「全体調和」という言葉が降りてきてから、荒ぶってしまって言葉が溢れてくるんだが、それほどまでに全体最適って言葉に違和感があったのかと思うと自分でもびっくりだ。パーパスもサステナビリティもSDGsもすべて「全体調和」って言葉に含まれているそんなイメージ。

ただ一所懸命やればいいんだよ。うまくいかなかったら残念に思って本当はもっとうまくやりたかったって感じればいい。悲しみや悔しさをじっくりと味わった先に「もっとうまくなりたい」って気持ちが出てきたらやればいい。思わなかったらやめればいい、ただそれだけ。「ねばならない」なんてない。

これまで局所最適とか全体最適とか言ってたけど、これからは局所調和と全体調和って言おう。最適って何を持って最適かよくわからんし人間の最適は自然の最適とは異なるかもしれないし。究極の全体調和は宇宙との調和。

「もっと良くしなければならない」と改善するのと「こうしたらもっといいんじゃね?」と改善するのは、やってることが同じように見えても意識が全く違う。この意識の違いがもたらす違いは『パワーかフォースか』読むとわかるよ。

山に住む友人が「米と塩があれば食べるものには困らない。毎日鹿肉と野菜と山菜ばかりだ」と言っていた。実際今日頂いた鹿肉、猪肉、タラの芽、ノビル、ヨモギ、玉ねぎ、キャベツは全て山でとったか畑で作ったもの。ノビルはそこら中に生えてるしワラビもツクシも取り放題。これで米作ったら無敵か。

「コップに水が半分しか入ってない」(ネガティブ)でも「コップに水が半分も入ってる」(ポジティブ)でもなく「コップに水が半分入ってる」(ニュートラル)という認知をしたい。つまり「あるものがある」認知。

「〜したいが、とはいっても〇〇だ・できない」という葛藤が状況にないとパターンとしては弱いと思う。葛藤を超越してはじめてパターンと言える。たとえば「食物繊維をとりましょう」は正論だが「食物繊維をとりたいが、外食だけでは賄えない」という葛藤がでてきて初めてパターンの出番となる。

マキタの18Vの草刈機、バッテリー3個用意して一個を使い切った後に新しいバッテリに交換。空のバッテリーをソーラーパネルで充電したモバイル電源から充電。草刈機使ってる間にからのバッテリーが充電完了することがわかった。PC持っていって仕事の合間に草刈るのもいいかもしれない。

なんか調子悪いなーと思ったら、昨日0時過ぎに寝たからかもしれない。朝は次男の付き添いで木曜から通う中学校の自転車通学の練習に付き合って往復12kmくらい併走したんだけど、久しぶりの朝ランでその時は超快適だったんだけどなぁ。