Takeshi Kakeda (tkskkd)
kakeda at zensow.jp
Japan - Ehime - Matsuyama
分離→統合を進めて全体性を取り戻すいきいきデザイナー&プラクティショナー&エヴァンジェリスト
アジャイル(22年)、パタン・ランゲージ(13年)、パーマカルチャー(15年)、ビオトープガーデニング(10年)、ウルトラ&トレイルラン、メンタルモデル探求、乱読書、生態系保全、心身一如、自分、他者、すべての生物の「いのちを活かす」ための活動をしています。
個人やチームのアジャイルメンタリング&コンサルティング、メンタルモデル紐解き、個人・チームの心身の健康カイゼン支援、などなど。
Miro使ってる人はブラウザ経由とアプリ経由どちらで使ってるのだろう?自分はアプリで使ってたけど、画面が表示されない時があったり、アプリの更新でしないといけなかったりするわりには、結局アプリ内部でブラウザ動かしてるだけだからアプリのメリットがあまりないと感じる。
Web3しばらく調べてなかったらあっという間にわからなくなった。流れに乗ってないとついていけないんだなぁ。。
今日のニュースをみるにつけ、やはり内なる平和・安寧・調和を維持するのが大事だと再確認する。そろそろ、自分のInner Journeyというか自分回収の日々を綴ろう。。。
たとえ10年週1で畑で農作業していても、畑に行く回数が年で50回程度だとすると、毎日畑に行く人の1/7なのでスキル的にも1/7のような気がする。いや真剣にやってない分さらに濃度が薄いから1/10くらい?なので10年畑やってても真剣にやった1年の経験の人と同じくらいかな?
パタン・ランゲージのクリストファー・アレグザンダーの追悼記事リンク集。。。DeepLで皆読もう! https://
自宅の庭の菜園(12年目)と友達とやってる畑(もうすぐ7年目)とおやじの会有志で始めた畑(昨年末から)と今年からはじめた内子の耕作放棄水田の米作り。手をぬいているとはいえ、やりすぎな気もする。まぁどれも楽しんでやっているのでいいか。手を抜かないとこんなにできない。
Notionのエクスポートを試したがDBはCSVに、コンテンツはMDに、画像貼ってもちゃんと格納されてるので、色々移行しやすいのはありがたいな。
僕がこれまでやってきたこと・体験してきたことをどう周りに還元するか・どういう形がいいのか悩む。自己表現としてやろうとは思っているが、それを誰かに伝えるとした時に形が変わるのかもしれない。本はその一つの手段なんだけど、動画、Podcast、ブログ、一通りやってすぐ飽きた過去…
ウクライナとアメリカで検索したらこんな記事が出てきたと思ったら3年前の記事だった。へー、昔から仲よかったんだ。https://
人生の前半戦は分離の連続だった。組織に入っても独立し、人とチームを組んでも分かれ、友人の多い場所から友人皆無の土地に移り、地元の活性化に参加するも地元愛がなく離れる。違うと感じることとそれを理由に離れることは同じではなく、違うからこそ繋がる必要があるとやっと気づいた。
今年こそは生物分類技能検定を受けなければ。。。 とりあえず3級から。http://
「世界平和は、内的世界の平和から」ってマントラだな。その人の内的世界が平和じゃないと外側の世界の平和なんて作れない。他人を許す前に自分を許す。他人を愛する前に自分を愛する。他者を受け入れる前に自分を受け入れる。他者に目を向ける前に自分に目を向ける。
そうか!中毒にならないから食べ過ぎない。飽きるとは必要な機能なのかもしれない。飽きることで次に向かうという気持ちが生まれる。飽きるとは新しい機会発見。まぁ、現代人は砂糖中毒だからね。
昔からカナヘビ捕まえてヨシヨシしてたら大人しくなるって思っててけど、これポリヴァーガル理論的には背側迷走神経が作動した不動化なんだな、と今更ながらに気づいた。カナヘビくん、凍り付かせてしまってごめんなさい。。。
事前に実験とか挑戦というラベルをはることで、うまく行かなかった時の痛みを事前回避しているとも取れる。ただ単に「やる」だけでいいのでは?だめなら変えるのは同じだし、という気づきを得た。やることは同じなんだけど、始まってる意識レベルが違うことに注目したい。